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閉ざされた村で 第一話 アマゾネス帝国への潜入者(2)

 3流雑誌記者の男が嗅ぎ回っている。そんな噂を耳にしたのは裕子が働き始めて一週間くらい経ったときだった。
 女性にとっての社会のあり方を考え抜いて女性社会を実現したN市。先進的だとして、取材したいと新聞各社から申し込みは多かった。週刊誌の記者がやってきても不思議はない。しかし『嗅ぎ回っている』という表現にある通り、男は市が指定した範囲以外での取材活動が目立った。主に木隠(こがくし)周辺の地域を洗っているらしい。
 木隠周辺は木無里(きなさ)と呼ばれ、古くから温泉地で観光客が多い。山深い木隠と違って食べ物屋など商業施設もある。至って普通の村。女性社会が糾弾されるようなところはない。
 だが雑誌記者の男は『複数の女性たちによる殺害事件があったのではないか』と文献や人々の証言を集めているのだ。天都家ではこの報告を受けて、もし男がやってきても「取材を拒否すること」とのお触れが回った。
 やましいことはなくとも勘ぐる輩は存在する。裕子も口を噤むことにした。

 裕子は母屋の庭を掃いていた。玄関前なので人の出入りをよく目にする。
 しずしずと歩いて入っていったのは次代の当主と噂されている天都桔梗(あまみや ききょう)だ。張りのある若々しい肌で着物がよく似合う。39歳という若さだが堂々とした佇まいは風格があった。背筋が伸びて遠くを見据えるように目線が高い。
 裕子は側道に寄って頭を下げた。桔梗の後ろを高戸蓮香(たかど はすか)が歩いて行く。旅館業務を切り盛りし、母屋のお手伝い衆もまとめる才人。桔梗の先輩であり無二の友人だと聞き及んだ。年相応に老け込んではいるが、桔梗とそうは歳も離れていないはずだ。
「ご苦労様です」
 微笑を湛えて桔梗は頭を下げた。
「ぁ、はい。お疲れ様でございますぅ」
 裕子は慌てて返す。
 天都家は実質的にN市をまとめる豪族である。女性社会を築いた祖とされる家系。ねぎらいの言葉に自然と頭が下がった。

 桔梗と高戸の後ろを少し離れて、ツンとした少女が通り抜ける。

 長女の水織だ。天都水織(あまみや みおり)は中学生のような体躯だが、この春に高校生になる。淡い色のくしゃっとした麻のスカートに水色ノースリーブのブラウスだ。黒髪が柔らかそうにふわりと揺れた。頭を下げることなく横目で裕子を見やる。
「…」
 何を考えているのか解らない表情だ。むすりとして険がある。
 だが人形のように整った顔立ちだ。天上から人々を見下ろすような目は母親譲りと言えた。桔梗の次の当主はきっと彼女だろう。
 まさに女王の風格だ。

 裕子は深々と頭を下げた。
 女中の仕事はシンプルに家事や天都家のお世話が中心だ。旅館業務を手伝ったり秘書のように天都家の他事業の管理もしている。
 天都家を世話する女中は全部で10人。裕子で11人目だ。ここ一週間は掃除に旅館業務などの雑務が中心だった。

 ふと頭を上げると水織がこちらを向いて立っていた。戻ってきたのだ。仔猫のような瞳で裕子を見つめている。
「ぁ、水織お嬢さま…?」
「後で、お風呂、手伝ってください」
 水織は凛とした声で伝えた。
「は はいっ…」
 返事を聞くと彼女は元のように風を切って母屋に入っていった。
 初めて声を聞く。どこか子ど
ものような、たどたどしさは残っていたが大人びた声色だった。強い意思が感じられた。しっかりとした性格で真面目な娘だと聞いている。聡明でクールな少女だ。裕子は自然と再び頭を下げていた。

***

 何ゆえのご指名なのかは解らなかった。
「失礼します」
 裕子が広い浴室に入ると、水織は既に裸でイスに腰掛けていた。スポンジに泡をつけてグシグシと泡立てている。お人形遊びでもするように手元でグシグシと、いつまでもいつまでも捏ね繰り回していた。
 ちゃんと食べているのだろうか。身体の線が細い。決して栄養不足という感じはしないが痩せ気味で子供っぽい。つるりとした肌だ。
「お背中を流したら良いでしょうか? わたし初めてでいつもどのようにされているのか…」
「髪を… 洗ってください」
「はい」
 裕子は歳下の女の子の世話をするのは初めてだ。氏族のお嬢様であればなおさらで、このような業務はもっと先々に任されるものだと思っていた。
「ちゃんと目をつぶっててくださいね」
「誰かに洗ってもらうのって、好きなんです」
 わしわしと頭を洗っていると水織はポツリと喋った。
 裕子は自分の中学・高校時代を思い出し、水織のような風格を持った女子は居なかったなと改めて感じていた。彼女は男子がいかにも好きそうな女の子らしい女の子だ。守ってあげたくなるとはこのことだろう。裕子も水織の小さな背中を見るとそう思える。鏡越しのおっぱいなどは申し訳程度の膨らみであるが、きれいなカーブを描いていて乳首も淡くてきれいな色だ。全体的に華奢で可愛らしい。
「腰を痛めているんですか?」
「ぇ、ええ。はい。慣れない力仕事も多かったのでちょっと…」
 確かに女中になって雑務ばかりなので腰を痛めた。あまり顔に出さないようにしていたが、水織は人の表情をよく見ているようだった。観察力がある。
「どうしてウチへ来たんですか?」
「ええ… あの…… わたし男の方が苦手で。N市は女性に優しくて、女性が輝ける町だって聞いてきました」
「そのまま信じたんですか?」
「…!?」
 水織は目を開けていた。急に失望をしたような冷たい声。どういう意味だろう。鏡越しに裕子を見つめている。裕子は何か試されているような、そんな気持ちになった。
「欺けば死をもって償うんです」
「え」
「ごめんなさい。変な言い方になって。気をつけてください。良くない噂もあるので… あ、あっ目に入っ… あー」
「大変っ 擦らないでくださいっ」
 裕子はシャワーのコックを捻って泡を落としていった。

***

 裕子が調べたところによると、木隠では10年程前に殺人事件が起こっている。証拠も多く残されたリンチ殺人だと言われていたが、未だ解決はしていない。
 牛田竜一も調べている過去の凄惨な事件だ。
 この被害者の男性は金玉を潰されていたそうだ。木隠の歴史を探っていたらしい。複数の女性による暴行・監禁・恐喝。そしてN市よる揉み消しが疑われている。
 女性に優しい『女性社会』は、翻(ひるがえ)せば男性に厳しい社会…。正しいはずのフェミニズムがこんな狂気を生むわけがないと思う。何かの間違いだろう
か。
 だが水織の指摘は何かを暗示しているようで、裕子は少し怖くなった。

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