拓が河川敷沿いの道を走っていると、橋の手前で同じクラスの二人の女子が手を振っているのが見えた。拓は意外に思った。小さく手を振るのは史奈だ。彼女はしばらく学校を休んでいた。その原因は自分にあるのだが、こんなにも早く彼女が拓の前に現れるとは夢にも思っていなかった。一週間ほど顔を見ていなかったから心配だった。それが今朝、いつもと変わらぬ様子で登校してきたものだから拓は朝からずっと戸惑っていた。できれば史奈に謝りたいと思う。
もう一人は快活そうな笑顔で手を振っていて、拓がやってくるのを心待ちにしている様子だ。クラスでも明るく、存在感のある希美。史奈とは普段からとても仲が良かった。
二人はたまたま通りかかったというふうではなかった。どうやらずっと橋の手前で拓を待っていたらしい。
「おーい! おーい!」
彼女たちは拓の出場する試合をよく見に来てくれるのだ。特に史奈は野球が好きで、野球部の次期エースとして期待されている拓はお気に入りの選手なのだ。拓はそんな彼女に少なからず好意を抱いていた。ただ、この思いがあの一夜の過ちを起こさせてしまったのだが…。
「お疲れ様~。ロードワーク?」
白々しいなと思いながらも拓は「おぅ」と応える。この時間帯にロードワークをするのは史奈ならよく知っているだろう。拓はアンダーシャツの袖で汗を拭って走るペースを落とした。
二人とも制服姿のままだった。史奈は自分の自転車を脇に停めている。学校が終わってからだいぶ時間が経つのに、部活もしていない二人がこんなところで何をやっているのだろうか? 拓は言いようの知れない不安に襲われた。何せあんなことがあったばかりだ。警戒心は自然と強くなる。
「忙しいとこ悪いけど、ちょっといい?」
拓が近づいていくと希美が道を塞ぐように前に出る。ふわりとライトブラウンのショートボブが揺れた。人懐っこい笑顔だ。その隣の史奈は所在なさげにしている。彼女は長い黒髪が印象的だ。細い黒フチメガネを指で押し上げて拓から目線を逸らした。
「見て欲しいもんがあるんだけどさ」
「何だよ…」
拓は一応立ち止まったが、いかにも面倒そうに言った。取るに足らない用事ならさっさと立ち去ったほうが賢明だと本能が告げている。
「仔猫がね、橋の下にいてさ。どうしようかと思ってぇ」
「はぁ?」
希美は拓を橋の下へ誘おうと、拓の袖を軽く掴む。橋の下を指さして「来て来て」とせがむ。
「なんで俺がそんなん見なきゃいけねぇんだ。関係ねーし」
「部の人で誰か飼ってくれる人居ないか探して欲しいなと思って。とにかく一回見てよ」
「はぁん? メンドッ。他に頼めよ」
拓は話の下らなさに呆れてロードワークを続けようと思った。だが希美は食い下がる。
「あたしたちの家じゃ飼えないんだ。困ってるの。お願い。かわいいんだよ? こんなちっちゃいの。見たら気持ち動くって。猫と人助けだと思ってさ」
「んん…」
拓はこのところ株を落としていた。彼の不甲斐ない投球のせいで試合に負けて周りの視線が冷たいのだ。責任を感じて頭をボーズにしたことでファンが減った。ついでに練習を見に来てくれるチームのファン(女子)も減っていた。練習にも身が入らない日々だ。エースにとって女子のファンは最重要ステータスだと位置付けている。ここは一つ協力してやって「あの人、優しい人~」の逸話をここで作って口コミで広げてもらうのもいいなと目算する。幸い史奈は“あの事”をそんなに気にしていないみたいだし…。拓は思い直す。史奈は自分の熱烈なファンなのだ。むしろ“あの事”は嫌がりながらも喜んでいたのかも知れない。
「ちょっとだけだぞ」
「ふふ」
希美は拓に背を向けてほくそ笑んだ。